ザ・電卓
電卓博物館と電卓の話題
■ 電卓の日2020.3.20

電卓の日
 3月20日は電卓の日。起源は電卓製造が世界一になったこと。電卓生産がほぼ独占状態だった当時の日本は《電子立国》とも言われた。電卓の普及は、計算事務の機械化それに個人にも半導体製品が行き渡り、電卓戦争を経て、現在、電子機器に囲まれる生活になっている。熾烈な電卓戦争がなかったら電子機器の姿は想像もできない。

 電卓は百均に並べられるようになって久しい。登場時535,000円で発売され、100円まで下った電子機器は後にも先にも電卓。小型化し消費電力も劇的に変わったのも電卓である。

 電卓による事務の機械化は、それまでの計算器具がそれに置き換わって行った。機械式計算機、計算尺は姿を消し、珠算は主役の座を明け渡した。珠算は教育の場に移った。なお、珠算は、アナログ計算機と思われがちであるが、二・五進法のデジタル計算機である。

 電卓普及の過渡期は、電卓の計算が信用できない人のために、電卓とそろばんを合体させた製品も売られた。また、電卓を子供に渡すと計算能力が落ちるから、学校教育では使うなとも言わていた。

 私事で言えば、5歳の時、自営業をしていた父が蛍光管式のポケット電卓を使っているのを見て、せがんで買ってもらってから、電卓を始めとした計算器具が好きになった。小学校3年生になり珠算塾に行き、2年間毎日4キロ離れた珠算塾に自転車で2年間通った。3級の途中までで学んだ。途中でやめたのは、塾長が酒豪だったこと。二日酔いのため休塾が増えたからだ。珠算用の算用数字や3桁の位取りのコンマを使って計算問題を提出したら、小学校の先生からコンマ使用禁止を言い渡されたこともあった。40年前も現在も学習指導要領に外れたら意地でも矯正するのは変わっていない。たかがコンマされどコンマ。再び使い始めたのは、高卒後、事務職についてからである。

 事務と計算機は切っても切れぬ仲、表計算ソフトどころかPCもなかったところだったから、いかに速く正確に計算しやすい電卓は何かと買い集めたり、中古をもらったりしているうちに、電卓収集家もどきになってしまった。一度、会社のロビーの展覧会に収集ものを出し、会社側が新聞のベタ記事を出したところ、それを嗅ぎ付けた地元ローカル民放局NBC長崎放送のテレビ・ラジオに出演することになった。よっぽどネタがなかったのだろうか。それとも、珍奇だったのか。

 ローカル民放局、朝の情報番組に仕事風景とコレクションの全部を見せるためと2回出演した。その番組は《あっぷる》名前を変え、午後3時台に移り、そして電卓の日の今日、三十余年のローカル生情報番組を終了する。これも何かの縁だろうか。


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