« なんとなく画像をあげてみる(西肥編) | メイン | 真面目なのか・・・ »

2011年10月22日 (土)

フェリーきずな・・・

昨日、ふとニュースを見ていると淡路・たこフェリー復活の可能性の話題が

その内容を読んでいくと「長崎県の海運会社から~」と

画像も掲載されてあったのでどこの船かと見てみたら・・・

地元・茂木と天草の富岡を結んでいる「フェリーきずな」の画像が

かなりの衝撃

新船でも入れるのかと帰宅後調査してみたらなんと今年9月末でフェリー航路は休止

代わりに高速艇が就航していたのだ。

実はあの船「いつでも撮れるだろう」と撮影を1度もしていないのだ

いつか撮ろうとは思っていたのだが・・・思いのほか早く終焉が来てしまった。


天草航路といえば「フェリーれいしゅう」と高速船「たいよう2」の2隻体制での航行を思い出す

少し古臭いフェリーと明るいカラーの高速船はいまだ記憶に残る

そしてフェリー航路が休止となり「れいしゅう」が去り

高速船も小型化が実施され「たいよう2」から「げんかい5」と代わった

ちょうどその頃中学校時代の私は職場見学の一環として安田産業汽船にお世話になった。

そのときあった船長さんは中々のバスマニアだった。

茂木港に住み着いた猫によく餌をあげにいった方だった。

いまだに高速船が出港するときに鳴らす汽笛の音は記憶の奥底に残っている

そして・・・5年ほど前にフェリー航路が復活し「フェリーきずな」が走り出した

代わって高速船「げんかい5」は休止となり、茂木を去った。

「きずな」は元「フェリー大島」として大島村と平戸を結ぶ航路を航行していた船

「れいしゅう」と違い小さなフェリーであったが茂木の風景の一部として馴染んでいた

でもその「きずな」ももう居ない・・・

新しい高速船が就航したみたいだが「げんかい5」よりももっと小さな船・・・

やっぱり心の中では寂しさが・・・

「きずな」・・・撮っておけばよかった。

ともかく、短い間だったが茂木富岡航路の主役であった「フィリーきずな」

そして主役を立ててきた安田産業汽船の職員さんには「ありがとう。お疲れ様」と

新しい高速船、スタッフには「これからも安全に」と言いたい

コメント

フェリーは熊本に行くときに乗ったけん。

わしもここしばらく運悪いけん
いいことあれば長崎バスに乗りたい

こんばんわ。坊や哲です。バス関連の掲示板では、いろいろお世話になってます。

さて、この記事拝見しましたが、フェリーきずなも休止になってたんですね…。

私は長崎市横尾出身なわけですが、私の母親の実家が天草の下田南でしたので、子供のころは、この茂木・富岡航路はよく利用したものです。

僕が幼稚園くらいの頃のこの航路は九州商船の運航で「フェリーたちばな」という名のフェリーでした。しかもそのころの茂木の船着き場は、茂木から宮摺方面にいったところ(割烹旅館恵美の先にY字路がありますが、そこを左に曲がったところ)にありました。昭和50年代中盤くらいに今の茂木港の位置に船着き場が移りました。その頃はまだ九州商船のフェリーたちばなで就航されてましたが、その後、この航路は九州商船の手を離れ、長崎天草フェリー(うーんうろ覚え…)という名の運航会社での運航に代わり、船もフェリーれいしゅうに代わり、平成になってから安田産業汽船による運航となりました。

天草西部は無論熊本県なわけですが、熊本市内へ行こうと思えば、かなりの時間がかかりますし、昔は天草西部界隈には大きな病院もありませんでした。また映画館など娯楽の場も少ない状況で、昔は長崎市内へ通院したり、映画などの娯楽を楽しみに、この航路で長崎へやってくる方々も多かったといいます。

しかし、景況や人口減の影響もあるのでしょう。フェリーれいしゅうが休止となり、その後フェリーきずなでフェリー航路が復活したわけですが、残念なことに再び休止となってしまいました。高速艇で航路存続しているとはいえ、やはりフェリー休止の形は、私も昔利用していた航路だけに、残念でなりません。

以上、長文にて失礼しました。

坊や哲さま

コメントありがとうございます。
れいしゅうの前はフェリーたちばなという船で運行も港も今とは違っていたのですね。
恵美の先のY字路・・・なんとなくわかりますがあそこにフェリー乗り場があったとは想像がつきません

茂木まで来れば長崎市街まで20分程度ですから熊本市街へ出るよりはやはり格段に早かったのでしょう
通院や娯楽のために乗っていた人たちは今どうしているのでしょうか・・・
高速船だと車が運べないというのが痛い点です
大きな荷物があるとなるとやはりバスよりも車ですからね・・・

今後の動きに注目しないといけません

ちなみにきずなですが報道によると売却先が決まったみたいです。

コメントを投稿