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2009-07-01

長崎幼児誘拐殺人事件からきょうで6年。

 平成15年7月1日長崎市北部の大型電気店から12歳(中学生)が幼児を連れ出して電車で移動後殺害したという事件からちょうど6年。きょうの現場付近の模様の写真を提供してもらった。



■写真提供 編集委員の知人
 事件の影響は大きく、少年法が厳罰化したきっかけの一つの事件だが、マスコミの劇場化された報道に疑問を持った人も少なくはないだろう。今回は、リンクサイト《なんぞねっと》の旧代表者から委譲された貴重な写真をみながらは事件を振り返りたい。
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■女性セブン 平成15年7月31日号
 事件から約10日後、少年は逮捕された。家庭裁判所内、拘置所周辺にはヘリコプタとマスコミの中継車輌が集結し《前代未聞》とされる事件を伝えまくった。この週刊誌には《倒錯の7畳間》なる題字をつけ、あたかも起きるべくして起きた事件と煽りまくった。紙面にはモザイクがかかっているが、すでにマスコミには被疑者の顔写真が回っていた。今の裁判員制度でこんな報道はできないだろう。
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■週刊ポスト 平成15年10月24日号
 犯行が奇異だったため、警察情報のリークかどうかわからないが、MRI写真まで週刊誌にでかでかと載せてしまった。被疑者ならどんな情報でもだして暴いてよい典型的な例である。
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■長崎新聞 平成15年8月20日 社会面
 被害者の父親は、このころ公の場の謝罪を訴えていた。被疑者が逮捕された時点から、《少年法の改正》という言葉が記事に載りだした。少年法を厳罰化する勢力から利用されたのかそれともいい機会だったのかマスコミも一大キャンペーンを展開した。
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■西日本新聞 平成15年9月25日社会面
 少年審判への被害者遺族への参加が認められなかったのを改善したのには一定の評価があるが、振り返ってみると、被害者と加害者の対立の構図を強調させるために遺族をうまく利用したのではないかと思われる。その後長崎新聞からこのような記事が一面を飾った。
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■長崎新聞 平成15年10月1日、2日 1面。
 長崎新聞の記者が被疑者少年の両親の家に単独インタビューして謝罪の気持ちを伝えるというスクープ記事が掲載された。この両親が被害者遺族に直接謝罪は拒否していたのでいわば公の謝罪となるが、これを後に被害者の父親は《新聞に偽りの謝罪記事を書かせた》と頻繁に新聞掲載された手記に掲載し批判した。  さて、あれから6年。少年がさいたま市にある収容されていた更正施設から長崎へ戻ったが、一時市内で行方不明になったことであの記憶がよみがえった。  法改正を望む弁護士とその勢力と、派手な報道合戦《被害者と加害者の対立の構図》だけ渦巻き、双方の家族はそれに翻弄されて、悲しみ苦しみはそのまま置き去りになったのではと思う。
 
 改めてこの事件は何だったのか。裁判員制度と事件報道を改めて考えるいい機会だと感じた。

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