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2009-05-20

裁判制度明日スタート~長崎新聞の事件報道への主張

日刊NANZOより

■長崎新聞 5月20日号 1面
 
 明日、5月21日裁判員制度がサービス・インする。メディアも新型インフルエンザの報道に押され気味でありながらも、大々的に伝えている。  長崎新聞1面の《水や空》、朝日新聞の天声人語のようなコラム記事である。ここには3月1日から長崎新聞の事件報道について改善運用したとの書き出し 。裁判員に事件に関しての予断を持たないように書き方を改めたとのことである。
■長崎新聞 5月20日号 1面
 犯罪報道が被疑者が犯人ありき前提の伝え方から改めたとある。このような場面が急に減ったことに気づいた。

■平成20年7月17日放映 NHKニュース7
 このテレビ画面は、バス乗っ取り事件の被疑者が少年だったと、卒業文集まで大写しして、被疑者が凶悪事件を起こす素地があったと伝えまくっていた。定番のひな形で凶暴性をあおりまくっていた。
■平成20年7月17日放映 NHKニュース7  
   普段はおとなしい、しかしこんな面があったと、被疑者のマイナスイメージを関係者のインタビューを織り交ぜ強調する。テレビを見た裁判員は、異口同音に被告に極刑を、厳罰をという先入観を持つことになる。
■長崎新聞 5月20日号 1面
 《改善後の記事は、逮捕容疑は警察が明らかにしたものであり、この段階では容疑者が犯人と決まったものでもなければ、疑いの内容が事実としたわけでもないことを強調する一方、容疑者側の主張を極力取材するように努めている》
 今頃、当たり前のことをやり始めたわけである。裁判員制度が始まらなかったら、従来通り、警察に逮捕→犯人確定・事件解決という図式が続いていた。これまでは、報道の自由・国民の知る権利とたてついていたメディアがころりと変わったのである。
 国民の知る権利をいいわけにして、ゴシップ心を満たす記事作りをしていたのはどこのどいつだだ。  この記事、こんな苦しい言い訳をしている。《確かに私たち新聞は犯人視報道の傾向を元々、自覚していたし、改善の必要も感じていた。》必要に感じていたなら、裁判員制度が始まらなくとも、行っていたはずだ。  長崎新聞も自覚などはしていないといえよう。ゴシップ記事で被疑者をおもしろおかしく伝え、被害者と加害者の対立の図式としてドラマ仕立てにしてきた、このお高いメディア集団にそんなものがひとかけらでもあったのだろうか。よく、こんな言い訳を平気で書けたものだ。
 
 読者の反応がないと記事の終わり付近にあるが、単に気づいていないだけである。啓発もしていないのに、読者に責任を転嫁している。裁判員制度のおかげで、おもしろおかしく事件報道書けなくなり、被疑者凶悪人確定でショーを作って、視聴率と売り上げを上げられないメディアの悔しさが如実に表れている見本だ。もっともワイドショーのゴシップ好きにもテレビがつまらないと言っていることは察しがつく。
 裁判員制度には賛否両論があるが、少なくともメディアが入れ知恵をさせるようなゴシップショーが減ったことについては、導入してよかったと考えている。

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