【事件のその後】長崎男児誘拐殺人事件から10年~当時を振り返る。
平成15年7月1日に起きた長崎男児誘拐殺人事件から10年経過しようとする。事件を風化させまいという動きが地元マスコミで盛んに伝えられている。当時の写真などを掲載し、マスコミが何をしたか振り返る。
平成15年7月1日
事件発生
大型電気店から被疑者の中学生が男児を連れ出し路面電車で浜の町方向へ、アーケードから築町の大型立体駐車場に移動し犯行。
平成15年7月3日
大型電気店近くの大橋電停で浦上警察署員が目撃者情報を呼びかけていた。この時NHKも取材していた。
平成15年7月9日
被疑者とみられる中学生が体験学習中に警察署員に身柄確保。稲佐警察署へ。
平成15年7月10日
長崎地方検察庁前はマスコミの取材であふれかえっていた。
身柄確保後、ゴシップ週刊誌は猟奇的事件を大いにあおり、アスペルガー症候群の児童を持つ親たちに偏見を与える内容を植え付けた。写真は当時の週刊誌。なお、無修正で掲載している。
■女性セブン 平成15年 7月31日号
マスコミは少年法の厳罰化と加害者の人権ばかり守るなと世論に訴えても被害者の氏名写真を堂々と使っていた。
被害者の父親は《少年法の厳罰化》をマスコミに訴え、公の場で謝罪をマスコミを通じて要求した。事件記録の公表がかない憎悪が増した感想も記事になった。
平成15年9月20日精神鑑定結果が発表された。長崎新聞は《高機能広汎性発達障害》であると一面トップで伝えた。アスペルガー症候群または発達障害が世間一般に知ることとなった。西日本新聞では理解不足だったようで《軽度の自閉症》という見出しを出していた。
発達障害への理解が低かった時期に、マスコミは差別と偏見の助長に貢献した。平成15年9月24日の長崎新聞の記事にはNPO法人の緊急提言が伝えられ、このころからアスペルガー症候群の用語がマスコミ使われだした。
被害者の父親はよく長文の手記を書き代理人弁護士を通じてマスコミ発表させた。子を失った悲しみと怒り、法制度の不備を訴えるものだった。果たしてマスコミは世論に更生保護を正しく伝えたのか甚だ疑問である。
■平成15年9月24日 NHK長崎のローカルニュース画面
マスコミの世論への訴えかけが奏功し触法少年の厳罰化が高まったと平成15年9月26日の長崎新聞は特集で伝えた。
家庭裁判所の決定書が開示され、被害者遺族は意義深い、少年法改正への突破口だと満足を代理人弁護士を通じてマスコミに発表した。写真は長崎新聞平成15年10月2日号。
その後も発達障害への差別偏見を植え付け培養させるゴシップマスコミがあらわれた。週刊ポスト平成15年10月24日号より。それに外部に漏れないと思われる触法少年の精神鑑定に使われたMRI画像まで引用していた。
売り上げのためなら何でもする見本である。
スクープ欲しさの長崎新聞も加害者家族に単独インタビューを行った。平成15年10月1,2日に掲載された。のちにこれが被害者父親が《偽りの謝罪で許せない》との手記を書くことになった。
■長崎新聞 平成15年10月1日号
少年はさいたま市の国立武蔵野学園へ収容。平成19年ごろまで生活していたされる。長崎新聞平成15年12月3日号は、犯行の全容解明としてこのような見出しをつけて報道した。
《異常性嗜好の多重障害~偶発性絡み暴発》。障害を持つ者への差別・偏見は理解不足、スクープ狙いのマスコミによって行われた例である。
第四の権力、ペンの力というマスコミが何をしてきたか、風化させてはならない事実である。