2014-04-21

【任天堂】ゲームボーイ25周年

 ゲームボーイの登場から4月21日で25周年を迎えた。液晶モノクロかつ、乾電池で長時間駆動の携帯用ゲーム機。欲しくてすぐに飛びついた。
 電子手帳などの電子機器が小型化。携帯用ゲーム機はファミコンが登場する前の、時計付きの液晶ゲーム機。昭和60年にエポック社から発売されたゲームポケコンが存在していた。

 テトリスに大いにはまり、昼休みに会社の同僚と対戦ケーブルをつないで遊んだ記憶が、つい先日のように記憶している。そのほか、オセロ、上海もよく遊んだ。

 ゲーム以外に夢中になったソフトが、ゲームボーイカメラ。液晶画面の視認性が良くなったゲームボーイポケットと一緒に購入。最初のデジタルカメラとなった。感熱剥離紙に印字する専用プリンタに小さなモノクロ写真を出力させて楽しんだ。

 いまはスマホを持ち歩き、ゲームを興じている若者は、よく見かける。当時はゲームボーイしながら歩いている子どもが、あちこちで見られた。時代は変わっても電子ゲームは、文化の一部として根付いている。ゲームボーイは、3DSに変わっても、丈夫で手軽に遊べる点は不変。ゲーム専用機のコンセプトを保ちながら、これからも携帯用ゲーム機の世界を牽引していくと思われる。

 登場から25年。個人用のコンピュータがスマホに収斂に向かう、21世紀が始まって14年目。あの頃の新鮮な感覚で、情熱をもってマイコン仕掛けの製品がだせるか、若い任天堂社員の挑戦に期待したい。

2013-09-19

【任天堂】山内溥氏逝去

 

 ビデオゲームと言えば任天堂の《ファミコン》を真っ先に連想し、7月15日で30周年を迎えた、前社長山内溥氏が逝去した。写真は《【30周年記念】任天堂ファミコン登場30周年》(平成25年7月15日号)で掲載した、現在も保管しているファミコンである。
 山内氏は、ワンマン社長などというイメージもある。もっと有名なのは囲碁の腕前であった。勝負強さで会社を世界的企業にした。戦前生まれの人は、戦争、もの不足、経済性成長など数々の修羅場をくぐり抜けてきた。後に託した岩田聡社長が、スマートフォン隆盛の時代にいかなる製品で消費者をつなぎ止められるか、ご冥福を祈るとともに、これからの任天堂を見守っていきたい。

2013-07-15

【30周年記念】任天堂ファミコン登場30周年

 

任天堂の印象は花札・トランプより、ゲーム専用機とゲームソフトを販売するのが強い。昭和55(1980)年にゲーム&ウォッチを発売、大変な人気があった。音消し機能が未装備だったため、学校の授業中に誤って作動し、GAME OVERまで動作音が鳴り続けて、教室は爆笑という思い出がある。
 その3年後の7月15日にファミリー・コンピュータが発売された。機器の値段が14,800円。他社のゲーム専用機、8ビットホビーパソコンより高性能、低価格に抑え込まれていたため、後発ながらもあっという間に他のゲーム専用機を駆逐してしまった。
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 キャラクタは16色のうちから2色のみ、背景画面は16色のうち1色が標準の使用のパソコン、ゲーム専用機に、モステクノロジー社6502CPUを元にしたプロセッサ、専用の画像処理プロセッサなどを使い、キャラクタは52色の中から4色の着色と、動きも画面の彩色も格段に違い、それが1万円台で買えるとなれば、消費者はどちらを選ぶかである。

 ファミコンが受け入れられたのは、ルールをすでに知っている麻雀、野球、五目並べなどを出したこと、それに子どもに買い与える電子玩具という意味合いから、有害な内容を排除したことにある。ゲーム年齢制限CEROのランクがつくのはかなり先の話である。

 それに本体・カセットは堅牢。任天堂製品はとにかく丈夫である。ないのは防水機能だけである。カセットを差し込んで電源を入れればすぐに使える。気がつけば長く使ったコンピュータは任天堂製品だった。
 ロボット、キーボード、ファミリトレーナーのオプション、それにゲーム機にマイクを付けたのも、コンピュータ(マイコン)の若かった時代の可能性への挑戦だったかもしれない。

 ゲームはスマートフォンへの収斂が始まり、任天堂の経営も苦しいと聞く。考えられるゲーム専用機の方向性は、医療・福祉機器、電子文具、それに安心安全な情報端末としての存在感である。30周年を迎えたファミコンへのはなむけの言葉としたい。

2013-07-11

【児童文学】事後調査報告:封印作品なのか。東映アニメーション版~十五少年漂流記

 日本アニメーション版の作品もカートゥーン・ネットワークで視聴したのを皮切りに、大谷じろう氏が作画、小学館世界名作館で発売されている《十五少年漂流記》を購入し読了したところ、出来がジュール・ベルヌ氏の原作の持ち味を最大限引き出すよい仕上がりになっている。よって、数十年前に読んだ翻訳本の面白さの記憶がよみがえり、特に動画作品を紐解きたくなった。
 丹念にネット検索をしていくと、日本アニメーション版の瞳の中の少年(1987)は、CS放送局 カートゥーン・ネットワークで時々放送される以外にも、平成23(2011)年2月よりDVDソフトが株式会社オレンジハーツよりバリアフリー版が発売されている。
 バリアフリー映画としてDVDソフトになり、これからも児童福祉の現場、子どもの情操教育等で活用されいくほど、優秀なアニメーションの一つとなっている。原作の主題を生かした親子で見られる作品だ。

  この5年前にも、原作の持ち味を十分に引き出し、冒険活劇の要素を十分に入れたアニメーションが東映アニメーション版十五少年漂流記(1982)である。
 フジテレビの特別番組《日生ファミリースペシャル》で放送された。海外にもビデオソフトが輸出されているほどの作品なので、版権それとも表現上の問題かは現在のところ判然としないにせよ、同社のウェブページの作品年表にも掲載していない。当然、東映が配信する専門チャンネルでも再放送は期待が薄いかと思われる。

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【写真】作品の映像から。

 外国語版の吹き替え映像を入手し視聴したところ、原作のスリルの表現がよくあらわされている。最終盤の敵との戦いは良くできている。原作にもあったナイフでの格闘を映像化した部分に対して、何らかの圧力がかかったのではないかと思えてしまった。仮にそうであれば実に短絡的思考である。封印しておくのは実にもったいない。

【補遺】
 ・16ミリフィルム所蔵情報
1)東京都立多摩図書館
 東京都内の団体のみ貸付が可能。
請求番号D0687

2)社会福祉法人聴力障害者文化センター
 16ミリフィルム所蔵番号 No.49

 


作品講評


【作品評】
 作品は原作の趣旨を生かした翻案。ブリアンとドニファンの険悪が強調されている。ドニファンがモコを傷つける発言をするなど、悪びれた行動が目立つ。また気性が荒く、ゴードン、ブリアンと殴り合いのケンカを繰り広げている。ゴードンとの殴り合いのさい、拳銃を向けたほど。(下記写真)

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【写真】ゴードン(中央)がブリアン(左)とドニファンのケンカを仲裁する。

 食糧確保に苦労しており、冬期は飢餓に陥る寸前であった。主役はブリアン。集団の中心的役割をしていたのはゴードンである。
 瞳の中の少年は明るい印象を持つに対して、この作品は対立、苦悩を前面に出している。悪者との闘い後、一致団結する。

【翻案の変更点】

 1)ジャックの行動の変更
 あ 漂流の原因を作った告白は、冬季に行われ、ブリアンから殴られている。それが全員に知れ渡り周囲から白眼視される。それに耐えきれず家出、あわや凍死するところだった。(下記写真)

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 い 島で見つけた子猿をジャックが飼いならしている。
 う 大凧は悪者の位置確認のために昼間に行われ、ジャックが乗り、それを悪者が見つけ、洞窟に攻め込まれている。(下記写真)

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 危ない役目の志願はこれ1つのみ。原作での冬にドニファン捜索中にクマから追われる場面は省かれている。大凧に乗って監視へ集約されている。

 2)登場人物の変更
 瞳の中の少年と同様、エバンスが省かれている。
 3)モコの投票権
 大統領を決める選挙に原作と違い、投票権を持っている。ただし、ドニファンから意地悪をされている。
 4)悪者との戦い
 分裂したドニファンの集団と銃撃戦を展開し、ゴードン・ブリアンたちが助けに入る。ドニファン(中央)は、銃で肩を撃たれ負傷する。この時、ブリアン(左)と和解し、モコ(右)への無礼を詫びる。(下記写真)
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 戦いは西部劇風に仕立てられている。ドニファンが悪党に銃撃され、ブリアンたちが加わり勝利宣言をするまで約4分超の場面は、本作の見せ場である。モコとファン(犬)の活躍が戦いへの勝利の一端を担う。
 本作はブリアンが豹に襲われたドニファンを体を張って助けたことにより和解するのではなく、銃撃戦の窮地を救った場面に変えられている。 

・銃撃戦の要約     

15_1982_11  1)日暮れ時海岸にたどり着いたドニファンたち4人の集団は、浜に打ちあがっているボートを見つける、たき火のあとから誰かが少し前に上陸しているのを把握した。その直後ドニファンに向けて狙撃されるがそれた。
 2)敵5人の狙撃に対して応戦。ドニファンの拳銃で1人倒し、銃1丁を鹵獲する。銃声に気づいたブリアンたちが現場へ急ぐ。 15_1982_06
15_1982_08  3)ドニファンの拳銃の弾が残り6発しかなく、敵に囲まれた。彼単身でおびき寄せて倒す作戦に移す。武器は短剣1本。
15_1982_05  4)残った仲間の銃撃戦で敵1人倒す。ドニファンは背後から敵の首領にとびかかり格闘。
 5)力の差で短剣を奪われる。仲間が銃で応戦しようとしたところ弾切れ万事休す。その時ファン(犬)がとびかかり形勢逆転。 15_1982_07
15_1982_09  6)現場にたどり着いたモコが弓矢で敵1人倒す。逃げようとした敵の首領を追いついたブリアンが狙撃して倒す。
 7)ブリアンの行動にドニファンは感動し、ブリアンたちのところへ駆け寄ろうとしたときに残った敵1人に狙撃され右肩を負傷する。 15_1982_10
 8)ブリアンとモコは手当、その際、ドニファンはこれまでの無礼を詫びた。残りの仲間は制圧に入り成功する。 15_1982_03

  5)その他
 時間の経過を、裾、襟などの被服の傷みで表現している。


2013-07-04

【30周年記念】続、衝撃のアニメ~世界名作劇場《わたしのアンネット》を振り返る。

■ニルスと《雪のたから》のルシエンとの共通点
 昭和50年代中盤は強烈なインパクトがあったカートゥーンは、NHKで昭和55年に放映された《ニルスの不思議な旅》。裏番組のTBS《ぴったしカンカン》も時々チャンネルをひねりながらも視聴していた。主題歌も小学校の合唱で歌った。ただし大多数の同級生は、ぴったしカンカンに軍配が上がっていた。
 妖精の魔法によってドラえもんの秘密道具スモールライトをあてられたように縮小された少年ニルスが鵞鳥に騎乗して渡り雁の群れに同伴しスウェーデン内を一周する物語。なお、鵞鳥に騎乗という表現は、Wikipeadia中国語版《騎鵞歴険記(日本漢字での表現)》を参考にした。不思議な旅よりも、歴険記とすると西遊記のような苦労をして旅をする玄奘とその仲間を連想する。あくまでも好みの問題である。
 100年以上前にスウェーデンの作家セルマ・ラーゲルレーヴ氏が国内地理を親しむために書かれたもので邦訳・抄訳が多数出ている。
 ここまでは前置きとして、世界名作劇場《わたしのアンネット》(昭和58年)での、主人公弟の崖から転落シーンを見るまでは子ども心に最強のインパクトを与えてくれた。魔法で縮小され、鳥に乗って飛んでいくとは。
 空気抵抗で推定10分の1縮小(体重は1000分の1になる)されたニルスが、よく吹っ飛ばされなかったのかと子どもなりに考えた。

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【写真】わたしのアンネットの原典《新版雪のたから》
 パトリシア・M・セントジョン(1950年 英国) , 松代 恵美(翻訳)/いのちのことば社
 ※アマゾンの中古本で購入可能。写真もここから借用した。新版とあるのは、不適切用語を改めたことによる。

■欧州児童文学の基本はキリスト教にいかに帰依させるか。
 二ルスも、強烈なインパクトを与えた。わたしのアンネットでの少年ルシエン(事実上の主役)も、原典では共通して悪童だ。怠け者・弱い者いじめ・残酷、そして信心深くないこと。ここも恐ろしいほど一致している。作品の発表が前者1907年、後者1950年と40年以上の開きがあるとしても、少年の基本設定が似ているのは非常に興味深い。
 もっとも両者はカートゥーン化されるに当たり、日本人の感性に合致するよう、基本性格を改変した上、テーマが《友情》に重きを置いている。
 欧州の児童文学は、キリスト教信者としていかようにすべきかという道徳を、お話の中にふんだんにちりばめ、それによって行動すべきだと説いているように思える。
 日本人の初詣は神道、結婚式はキリスト教、お葬式は仏教と、様々な神仏にご登場願う半ば無信仰に近い環境においては、そのままの形で紹介するには違和感がありすぎる。わたしの~でも記したことだが、この点をを十分に理解し研究することは、欧米人と対等に渡り合うためには必須項目だと再度書かせて頂く。

■神は成長のために、最終試練を課す。
 ニルスの不思議な旅の最終盤では、魔法をかけた妖精と同じ規模に縮小され、再び人間に戻るための試練が待っている。騎乗してきた伴侶の鵞鳥を彼の両親が祭事の料理にされるのを阻止するか否かという問題である。
 小さくなった彼を見られる恥と外聞を見せないを選択するか、それに打ち勝って鵞鳥を護るかという二者択一問題。もちろん原典もカートゥーンも後者を選択し、魔法が解け、晴れてニルスの改悛作戦の任務完了となる。
 これは比較して取り上げたわたしのアンネットでも酷似している。ルシエンの短絡的行動(註)で主人公アンネットの弟を崖から転落させ、一生歩行困難な状態にした震源だ。この怪我を元通り治せる医者がいると知る。隣町にいる医者に会うため、荒天猛吹雪の峠越えであった。行くかそれともとどまるかのこれも二者択一である。

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【写真】バンダイビジュアルから2001年発売されたDVD外装より。

 罪の償いがテーマにあるとしても、設定年齢12歳の彼には無謀な試練だ。(※神の恩寵がなければ確実に遭難している)
 神というのは信心深くない子どもを、敬虔なクリスチャンにするために、厳しい技能検定をつけて合格するか見ている。それだけ世の中は厳しいのだと否が応でも教えている。
 子どもと一緒に視聴して友情とは仲間とは何かを話し合うには絶好の教材だ。視聴率、好みの変化によって、視聴者が不当なクレームをつける輩が大手を振ることによって、教訓が織り込まれたカートゥーン番組が時代劇同様作られなくなった。本放送30周年をにあたりテレビ番組の衰退を目の当たりにできよう。過去の再放送よりも新たに作っていくことが、世界に受け入れられた現代日本文化を陳腐なものにさせない使命でもある。

※この記事は当時の日刊NANZO編集委員会が平成22年に作成した記事を、大幅に加筆修正したものです。


(註)ルシエンの短絡的行動の起因
原典:アンネット弟のダニエルに意地悪をしようと企てた。
翻案(動画):ダニエル(ダニー)がアンネットの誕生日に呼ばないといったことによる激昂。

2013-05-27

【任天堂】カラーテレビゲーム6(CTG-6V)

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 任天堂がファミコン(ファミリーコンピュータ)を発売して30年。電子玩具メーカーの大手かつ老舗の地位を不動のものとしている。このビデオゲームはそれより6年前の昭和52年(1977)に発売された機種。リサイクルショップで見つけ購入した。
 この時期、テレビゲームの商品が売り出されていた。■型のモザイクを長方形のモザイクを操作し打ち返すピンポンゲームが主流であった。
 この機種は専用のLSI(三菱電機製)が入っている。操作は2つのつまみを回して使って操作する。
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 ゲームは3種類の1人用・2人用で6種類のゲームとしている。写真のスイッチで簡単に切り替えられた。
 上位機種にカラーテレビゲーム15が15,000円で発売、6は9,800円という販売のしかたを行って、値段の安さが目を引き数十万台単位を売ったとされる。
 現在のデジタルテレビに接続するためには、RF出力をビデオ入力(RCA端子)に変換する回路等が必要である。AC/DCアダプタは別売りである。
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 この成功で任天堂はゲームウォッチ、ファミコンへと電子玩具を主力として移していった。任天堂の歴史資料として長く保存していきたい。

2013-05-25

【30周年記念】衝撃のアニメ~世界名作劇場《わたしのアンネット》を振り返る。

 30周年記念の作品・製品を取り上げるシリーズ。第1回は、昭和58年(1983)1年間にわたってフジテレビ版で放送された、世界名作劇場《わたしのアンネット》と取り上げる。

 この記事を書く私は、中学校3年生の思春期の真っただ中。NHK朝の連続テレビ小説《おしん》と同様にこの番組を欠かさず見ていた。

 同時に、世界名作劇場をよく見たなと思う。このアニメ番組がフジテレビの地上放送では平成9年に終了は知っていた。復活を希望するウェブサイトもあったと記憶しているが、BSフジで一時期復活していた。これも多チャンネル化の恩恵の賜か。
 赤毛のアンの次に実に興味深く見ていたのが、《アルプス物語 わたしのアンネット》(昭和58年)(アルプスの少女ハイジとは作者も設定も違う)である。
 テーマが宗教と、今までの名作劇場にはない《主人公の弟が崖から転落》というサスペンス劇場でよく見る転落シーンが鮮烈なインパクトを与え記憶から離れない。この場面を見た瞬間、のどかなスイスの村で発生した少年犯罪のアニメだと思った。
 主人公アンネットと、事実上の主役、ボーイフレンドのルシエンの確執などという話の展開は記憶不確かになってしまっている。結果から言えば、最後は和解して大団円になる。
 Wikipeadiaでのなどの資料を見ると、視聴率はふるわなかったとある。ただ隠れたファンも多々いるようで、これは当時校内暴力、学校内のいじめが熾烈になった時代に、被害者側には共感を持った作品ではと考える。
 ルシエンが取り返しのつかない事件を起こし、疎外感と孤独感を否が応でも余すことなく味わった。いわば奈落の底にのたうち回るその仕草が、視聴率では推し量れない隠れたファンとこのキャラクタへの感情移入が強くできたと思われる。
 (註)ルシエンはほぼ回復不可能に近い状況までたたき落とされている。現実なら耐えきれず自殺しているか心の病になっているとも考えられる。

 原典が英国の作家パトリシア=セント=ジョン氏が昭和25年(1950)に発表したキリスト教の宗教観を前面に出した《Treasures of Snow(雪のたから)》を元にしていることはファンに取っては既知の事実。いのちのことば社から平成8年(1996)に新版として発行された。現在は、アマゾンで中古本として取り寄せができる。

 さっそく読了すると、宗教の違いとはこのようなものかとはっきり感じ取れた。決して信心深くない仏教徒である私にとっては、宗教が根底にある道徳観がどのようなものあるかだけは読みとれた。欧米人と真っ当に渡り合うにはまずこの見方から理解すべきかと思うほどである。
 アニメでは原典の《罪と赦し》を土台に、《友情》というテーマが強調されている。困難に直面したらどのように復元してくのかという、一つの解が示されている。端的に言えば、復元不可能にまで冷え込んだアンネットへの関係復元一大プロジェクトの軌跡と言えようか。
 原作を元に、日本人の感性に合わせた作品。ただし、仮にこれを新たに制作して放送すると、何でも子供に悪いとBPO、テレビ制作者側に言いたい放題のクレームをだす輩に、主人公弟の崖からの転落場面だけをことさら取り上げ、《子供に悪い》《犯罪を助長する》等から放映中止にしろという苦情があがり、論争が生まれると予想される。
 30年前は子供と大人も楽しめる、文学作品を元にしたアニメ番組が放送されていた。資金も制作能力が落ちたテレビメディアは、かつての番組以上の作品を生み出せるだろうか。

【資料1】原作と動画の概要

 作者:パトリシア・M・セントジョン(英国)(生没年)1919-1993
 分類:キリスト教児童文学
  原典「雪のたから」 動画「わたしのアンネット」

 時代設定

 
 巻頭言に20年前の話とある。作品が発表されたのは1950年であることから1930年代のスイスで体験した物語と判断される。  話の始まりが1900年とありそれから約6年間の出来事。
 
 
 テーマ

 
・罪と赦し。
・全き愛

 
・罪と赦し
・友情
 罪の赦しを土台に友情を最大のテーマとしている。

 主人公
 

ルシエン
 
公式にはアンネットであるにせよ、物語進行上からルシエンである。


 


主構成員





 
アンネットとその母
同弟ダニエル
おもり役のおばあさん
アンネットの父バルニエル
ルシエンの母マリー
ルシエンの姉マリー
森のじいさん
ギベット先生
クラウス(ペットの猫)


 
アンネットとその母
同弟ダニエル      
クロード(おもり役のおばあさん)
アンネットの父バルニエル
ルシエンの母マリー
ルシエンの姉マリー
森のじいさん=ペギン
ギベット先生 
同級生 ジャン・アントン・フランツ・マリアン・クリスチーネ(同級生は動画独自)
クラウス(ペットのオコジョ)

【資料2】ルシエンの原作と動画の違い

 項 目 原典《Treasure of the snow》  動画《わたしのアンネット》

 基本性格
 
 残酷
 臆病者
 弱いものいじめ
 愚痴っぽい気の良い少年。
 一途・純粋で素直。泣き虫。


 人間関係


 
 同級生となんとか付き合えたが、ダニエル事件後嫌われた。
 ダニエル事件解決後みんなから尊敬される少年に変わる。
※小説内では親しく話し掛けた人を友達と表現している。
7歳編冒頭では、ガキ大将を中心とした仲間にいじめられていたが、次第に友情が深まる。
 ダニエル事件直後は若干のいさかいがあったが同級生との仲が根本的に壊れなかった。
アンネットとの関係 幼なじみであった。
ただし良好な関係ではない。
幼なじみ。竹馬の友。
 

 能  力
 
ダニエル事件後、木工彫刻がうまくなっていく。
 
 木工彫刻 木材加工の才能があり完成度は高い。
 そり滑りが得意。

 学校生活


 
同級生との遊びにはなんとかついていけた。ダニエル事件後一変する。→いじめぬかれる。
 成績も良くなかった。
 
遅刻の常習。
成績は一般的水準。
友人も多く活発に遊んでいる。

 

2013-05-21

【児童文学】続々瞳の中の少年~十五少年漂流記:学んで楽しい学習まんが編

 カートゥーン・ネットワークにて平成25年 4月13日、14日放送された、《瞳の中の少年~15少年漂流記》(日本アニメーション:昭和62年)を視聴して、原作を翻案していったのかを取り上げた。
 続々編として小学館から欧米を中心とした古典文学を漫画化した《学習まんが 世界名作館》が第4巻の《十五少年漂流記》(漫画制作:大谷じろう 平成25年 2月 3日初版)を紹介し、動画と漫画の翻案を比較する。
■表紙
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■キャラクター一覧
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 キャラクターのデザインは、少年漫画誌に十代の群像を扱った作品に登場する現代風の少年。ウィルコックスのデザインは、突っ張った高校生ではというのが率直な感想である。日本アニメーション版の関修一氏のデザインを比べると、
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【写真】動画版 ドノバン(左)・クロッス(右)
 年齢が高く感じられる。これは人によって年相応だといっても、それも正しい。要は、昭和60年代の動画と、平成20年代の漫画では、作者の少年に対する描き方の定義が違う。
 動画版ではかなりの翻案が行われていた。趣旨は原作と同じでも全く別物の物語りである。漫画版は原作に忠実、小説の要点を余すところなく取り上げている。

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 原作の翻訳、再構成版を読んだ人はお分かりの場面。
~悪者が島へ上陸して巨大な凧に籠をつけて乗り偵察しようと思いつく。果たして誰が任に当たるかという時に、真っ先にブリアンの弟ジャックが手をあげる。その理由はとなる。~
 児童向けの漫画かつ漢字が少ないのは当たり前として、大人でも楽しめる。ページ数の制限、対象年齢の理解度を鑑みても、子供用だからという手抜きなしでしっかり作られている。
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【写真】動画版 ブリアン(左)・ジャック(右) 

 動画版では、ジャックの視点で描かれており、命を賭して危険を冒す話はすべて省かれている。これも十分に面白い。失敗を告白した相手がドノバン(ドニファン)であるのは、小説を読んだ人には驚きを与える。兄ブリアンは薄々気づき、あとでは知っていたとドノバンに告げる。簡単に言えば、動画の上では、ほとんどの登場人物は、漂流の原因はドノバンで、ジャックはその秘密をばらそうしたことになっている。

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 仲間で発生する問題を一つ一つ解決して、友情と協調を全面的に押し出ている。家族が視聴して楽しい内容にするために、製作者もほぼドノバン(ドニファン)をやんちゃでもジャックの失敗をかぶって気風のよさを強調する別物の冒険物語にしたと考えられる。それでも物語の趣旨を保っている。

 漫画版に戻すと、原作の冒険活劇の要素を取り出している。学習まんがは発展学習の要素もあるため、原作者の資料集も付けている。活字に興味を引き出し、地理・歴史それに科学を深めれば目的は完成する。
 まとめれば、見て楽しいか学んで楽しいかによってつくられ方が変わる良い例である。

【平成25年 6月23日追記】
 動画版と漫画版の違いをまとめました。→ 資料集 

2012-09-03

【ドラえもん】ドラえもん生誕100年前

 

ドラえもん。漫画の誕生から40年以上経過した。連載自体は終わり、作者は天に召されても、アニメーションまたは作品の出版など続けられている。ドラえもん世代は着実に広がり続けている。

 

ドラえもんの誕生日は2112年9月3日。ちょうど100年前となった。ご先祖さま(野比のび太)の危機を救うべくタイムマシンでやってきたネコ型ロボット。ポケットから秘密道具で夢をかなえる。便利でも頼りすぎると失敗する。しっかりと教訓も入っている。

 大山のぶ代がドラえもん声優をしていたアニメーションには、地球環境保全を付け加え脚色していた。水田わさびが声優をつとめる新しいドラえもんの違和感・不満を表する人、mixiのコミュニティも活発であるが、彼女の年齢によるもの。これも長く続く人気番組の宿命か。
 作者が昭和一桁生まれかつ戦争体験をしてきた関係から反戦平和をテーマとした作品が見られる。動物園の象を救い、軍艦とゼロ戦のラジコンで海戦、陸軍の階級章をもとにした階級バッチ、独裁者を懲らしめるスイッチなど随所に現れる。
 ドラえもんが存在している22世紀の世界にはいがみ合い紛争戦争があるような表現はない。なくて当たり前と見られる。あれだけの人間の生活を豊かにする秘密道具を作る科学技術、漫画で登場してくる未来の東京を見ていると、すでに国という単位から国を超えた集合体になっていると思われる。技術を悪用すれば人類はあっけなく滅亡の道をたどる。
 21世紀もまた戦争の世紀に明け暮れるか、超国家的な枠組みで地球規模で物事を考えていくかは私たちの進み方にかかっている。

 この漫画はジャイアンがのび太をいじめ、仕返しにドラえもんから道具を出してもらうひな形。一時期のび太は0点を取ってばかりの設定に、ADHDもしくは学習障害ではないのかと本が書かれ、学力・体力が劣っているからいじめられたのではないかと感じた人もいると思われる。
 ジャイアンが一方的に陰湿ないじめが作中にあったか、ドラえもんを読み返して欲しい。空き地に集まる登場人物は性格が異なっても集まり、子どもたちだけの世界が繰り広げられる。だからこそ今でも読み継がれていく。

 ドラえもんの秘密道具。時間を超越する、薬の類をのぞけば、実現したそれをしのぐ道具も登場した。薄型テレビなどはとっくに実現してしまった。
 こんなこといいな、できたらいいなという時めきが、ものづくり、科学技術発展の役割を果たした作品である。ドラえもんが続く限りこの国はへこたれず人々を喜ばせるものを生み出していける。絆・がんばろう日本というスローガンより、この漫画を生み出せる力がある限り困難を切り抜けられる。

 100年後、藤子・F・不二雄先生が描く科学技術が幸福を生み、平和な世界になっていると信じたい。

日刊NANZO 平成24年 9月 3日号より一部加筆

2010-08-19

【都市伝説】トトロ・ドラえもんの都市伝説、悲惨なのがお好き?

日刊NANZO
平成22年 8月17日号より増補。

 毎年のように放送されるジブリ動画。毎回放送されるのは、《となりのトトロ》。7月新作動画発表を記念しての企画。何度見ても面白い映画である。

 背景の風景は田舎に帰ると近いものを見られる。いつまでものどかな風景が続いてほしいものだ。

 知人がその番組が始まる前に《トトロは死神だ》と真顔で言っていた。どこから拾ってきた話かといえば、ネット上で拡散している《都市伝説》だ。

 すでに主人公(メイとさつき)は亡くなっていた。 
 根拠の一つに

 ・エンディングの母親の服装が本編と違い、登場人物が若返っていた。
 ・夫婦の《今(メイとさつきが)笑ったように見えた》発言。
 ・影が途中でなくなっている(影は省略される場合が多い)。
 ・昭和38年5月に起きた狭山事件に関連がある。 

 などの事実ゆえ故にトトロは死神だと半ばこじつけのような根拠が並べられている。著作物に対して多様な解釈は否定しない。動画の世界観をぶち壊して何が面白いかとトトロ都市伝説に対しての率直な感想だ。

 《ドラえもんの最終回》も然り。漫画の都市伝説は悲惨な結末がお好きなようで。楽しい伝説よりオドロオドロしいのがうわさ話、それに一人歩きができる。人に恐怖感を与える情報が妙に現実味・真実味を帯びている。最終回はどうなるのかと疑問は湧く。実際には《さようならドラえもん》など、いくつかの最終回が存在している。だとしても、悲惨な終わらせ方、ドラえもんの電池切れで、技術者になって復活させたとなる内容も、着想はよいとしても、作者の世界間からかけ離れている。

 動画・漫画の範囲ではまだ笑って済ませる。怪談好きなのは国民性だから致し方ない面もある。

 都市伝説の大規模な流布が、流言蜚語に化し、社会生活に影響がでるような事態、為政者が利用した場合は、自らの身に悲惨な結末が予想される。悲惨な都市伝説の主人公として。