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2011-10-25

【BCL】CRI開局70周年によせて

 中国国際放送局(CRI)は、昭和16年12月3日延安で産声をあげて70周年を迎える。
 日中戦争に明け暮れていたさなか、日本軍向けの放送として開始、途中中古のソ連製の送信機の故障で停波。その後復活して現在に至る。中国共産党の最初の放送局・同時に外国語放送が日本語である。


http://japanese.cri.cn/

 CRIの日本語放送を最初に聞いたのは《北京放送局》の呼称であった昭和49年。この年、コンパクトカセットテープレコーダつきのラジカセが我が家に入った。ラジカセで音楽を聞き、ラジオ放送を録音したり、自分の声を入れ、時にはテレビ放送をテープに《録音》していた。家庭用録画機器が一般に普及する前は、音でテレビ番組を記録する方法をとっていた。

 北部九州は大陸に近く、中国、韓国、北朝鮮の放送がAMラジオのダイアルを回すとNHK・民放ラジオよりそちらがよく入感した。派手なマーチ、堅苦しいしゃべり方の朝鮮語が聞こえたかと思っていたところに飛び込んだのが北京放送だった。

 中国語の合唱に日本語。そのような番組が続いたのを聞き、民放ラジオにダイアルを回した。その後、何度かその放送を聞いた。

 北京放送をよく聞くようになったのは昭和56年。学校の同級生が中国へ短期交流で行って報告会を行ない、BCLを盛んにしていたといってからになる。彼は韓国KBS国際放送《玄界灘に立つ虹》のファンで何度も手紙を出して紹介されていたという。その次は北京放送でよくそれらの受信証明書(ベリカード)を見せてもらった。

 AMラジオだけで日本語の放送を手軽に聞くことができたのは、CRIとKBSだった。北朝鮮の日本語のAM放送は妨害電波で聞き取りづらかった。日本の音楽とは違った雰囲気で興味を持って聞いていた。
 CRIに受信報告書を何度も出すと、ベリカードのほか、お礼に切り絵細工、年末には翌年のカレンダーを送ってきた。○曜日が中国では星期○になっていたのに同じ漢字を使って用法が違うのかと驚いたこともあった。

 BCLに熱も冷めても、時折聞いていた。経済が豊かになるにつれ放送内容もお固い政治色から友好、娯楽性の比率が上がってきた。今はラジオを用意しなくとも高音質のストリーミング配信が聞ける。だとしても、海の向こうから飛んでくる電波を受信するのは、外国はどんな放送をしているのか好奇心も湧いてくる。これからも永く放送を続けていただきたいものだ。


 今年(平成23年)の中国は、
 ・辛亥革命から100年
 ・中国共産党創建90年
 ・日中国交正常化40年

の節目に当たる。辛亥革命100年のイベントとして《孫文・梅屋庄吉と長崎》が平成24年3月25日まで長崎歴史文化博物館で開催されている。

http://www.nmhc.jp/sonbun/index.html

 日本と中国の関係は長い。尖閣諸島の領土問題など懸案事項を抱えている。お互い考え方の違いを認めた上で、知恵を出し合い、アジア諸国の平和安定を実現して欲しい。いがみ合い、怒りだけでは何も生み出さず、暴力と破壊、恐怖と貧困に支配された強者の論理だけがまかり通る関係だけが待っている。