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2009-06-04

天安門事件から20年。中国政府が必死に隠しても。

 天安門事件から20年。時間が流れるのは早い。

 編集委員の一人に、昭和63年のはじめから、中国紹介の雑誌で、北京の月壇中学校日本語教育の記事で日本の人と文通したいとの記載が縁で中国人の学生と文通をしていた人がいます。何度か手紙のやりとりが続きましたが、天安門事件後にぷっつり途絶えたと話してくれました。

 共産党一党独裁の国で、西側の有毒思想が入るのに神経をとがらせ、草の根から中国共産党一党独裁反対運動を起こされるをおそれて《国策》でやられたのでしょうか。その編集委員は、社会主義・資本主義の対立などわかるような年齢ではなかったのですが、やはり西側の一員の日本には警戒の目を向けていたと思えてしようがありません。

 中国国内で共産党一党独裁の是非、民主化の推進は、中国人民が決めることであるにせよ、デモ隊に戦車突入はやりすぎだと当時の映像をみると感じます。当日どんなに隠しても、NHKニュースの天安門事件の話題を真っ黒にしても、最初からなかったフリをしても、どこかで露見してしまいます。事実香港では盛んに《六四》をキーワードに事件を振り返ろうといううねりが強いと伝えています。

 政府が今さら「人民に戦車突入して、発砲しのは、行き過ぎでした」とはいえない。もし、口を滑らせたら、共産党は権力の座から引きずりおろされ、かつてのルーマニアの共産党政権崩壊につながります。独裁者の銃殺場面強烈でした。

 中国での政権(王朝)は下から突き上げられて新しい政権に代わるという《易姓革命》を繰り返している歴史です。かつての流れを踏めば現在の共産党政権(王朝)から次の王朝に取って代わる運命がくることは間違いはありませんが、常におそれているんでしょう。王朝は創業より守成がいかに大切か。あのとき共産党王朝は抑え込めなかったら民主化というそれで、終焉を迎えていたことでしょう。

 いつまで抑え込むことができるか、独裁を続けられるか、今後も一衣帯水の隣人に目が離せません。

《註》日刊NANZO 平成21年6月4日の記事をざっくばらんな口語体から一部手直しをして再編集しました。

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