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2012-02-06

【リハビリ】がんばれ、がんばっては健常者目線。

 不慮の事故にて負傷。障害が残り、今だリハビリで機能回復途上である。麻痺が残り、今後いかなる状況になるか医者にも分からない状況。

 病気または怪我で障害を負ってしまった時の会社の態度は一変する。最近、公文書などが《障害》《障がい》とかな書きするようになった。誰かが《害》の字は良くないと抗議したか、会合で声を大にして言った成果か。

 もともと《障碍》と書いていたものを、戦後の漢字制限で同音同義の《害》に書き換えた。《さわり、はばむもの》は字形を変えただけ。今更《がい》とかな書きしても、社会そして企業の《害をなすもの》視が消える、障害者福祉が充実、バリアフリーでみんなが優しく暮らせる環境になったろうか。

 現に、障害を負い麻痺が回復しない相手産業医は《一定数の企業は障害者を雇う義務はあるが、部署まで作って迎えることはしない会社の人事部に至っては《麻痺が100パーセント回復しないと会社復帰は認めない直属上司は《障害者も健常者と同じ能力で働け》〜とどのつまりは《障害者》は《生産力が出ない》者で《害》するものだから、《辞めろ》と言うものである。

 従業員10万人超える著名企業《障害者雇用》を《害虫》のように見ているのであれば、その他の企業のどんなものか自ずと分かる。好き好んで《障害》を得たのではない。雇用情勢が厳しい中、現役第一線で《会社のため》に働いてきた人は、《障害者》になった時点《害》の烙印を押され、社会の《底辺》への片道切符が用意されているのみだ。先天的に障害がある者の家族、本人への痛みなどは計り知れない。

 社会も企業も自己責任だ知ったことかだ。円高・ユーロ危機の不況の中、経済活動は弱肉強食、健常者がわざわざ支えてやっている感謝しろとの《冷たい目線》《無言の非難》が突き刺さる。

 極みがmixiなどのSNSでの露骨な《知的障害者》への蔑視投稿。健常者の憂さ晴らしの当然との空気が蔓延(まんえん)している。

 単純に《害》を《がい》と書き換えでみんなに優しい《ユニバーサルデザイン》《生活の質(QOL)》向上すれば歓迎。そうでなければ《まやかし》そのものだ。今の日本を見れば《上辺だけ》の優しさなのか。

 機能回復のために日々たゆまず《リハビリテーション》訓練を行う。出口はいつかの保証は未知数。劇的に回復していくのか、現状維持かは自身の《あきらめない》意思のみ。ここまででよし、もう無理だと割り切った時点で機能回復の伸びは止まると言う。耐えるところは耐え、現実を受け止めていくのがリハビリテーションのつらさである。麻痺で動かないから痛いからはその付随事項である。

 健常者は気楽に《がんばって》《がんばれ》と《励ましたつもり》になっている。機能回復が一進一退しているときは、がんばれと言われてもどうしようもないと、早く回復しないと底辺だぞという圧力を感じて焦り、心理的負担が回復を遅らせるか、止めるか、後退してしまうかの《選択肢》が待っている。
 深層には《こんなのにならなくて良かった》の心理、仲が悪い相手なら《バチが当たった》とほくそ笑む。このような意味も込めて健常者は《上から目線》で《がんばって》の大安売りができるのだ。極めつけの言葉は《かわいそう》である。

 かわいそうな人ががんばってはいない。障害者という立場になってみて、健常者の上から目線が哀れに見えてきた。どうか健常者の皆さん安易にがんばっての言葉をかけて励ましたつもり、ボランティアを少しだけ体験して気持ちが分かったふりの満足で終わってしまわず、どんな立場の人でも安心して暮らす方策、技術の構築が日本国発展へのヒントが埋もれていると気づいてもらいたい。